主観的な運動言語

素晴らしい駐車場をみつけた。

 

 

そう、利用者目線なのだ。

車を区切るオレンジの線は、車の外から見ると明らかだけど、運転席からは見づらい。

 

 

運転席に座り、

ハンドルを握ると、このガイドの有難さがやっと分かる。

 

 

 

運転席から前に見える車幅のガイドに従って、そのまま後ろにバック。

すると、ピッタリ良い位置に導かれる。

 

設計者が自ら運転手となって設計しないと、思いつかないガイドだ。

 

 

 

 

セラピストが対象者の動きを見て、

 

「背中をもっとマッスグにして!」

 

「膝が内側向いてるから外に!」

 

というのは、

運転手経験が乏しい人のガイドかもしれない。

 

 

 

 

 

「もっと右だってば!右!」

 

「バックバック!ストーップ!」 

 

っていう、

車外からのアドバイスに等しい。

 

 

 

 

 

 

運転手経験が豊富なセラピストは、

運転席から見える景色の話、つまり対象者の感覚に意識を向けるようガイドしていく。

 

 「フロントガラスからooが見えたら、ハンドルを切ってみようか。」と。

 

 

 


セラピスト自ら運転席に座り、

その時に見える運転席からの光景や、ハンドルのきり方を十二分に吟味してから、対象者にガイドする必要がある。

 

こうした言語を持ち合わせている人のワークを受けてみるまでは、その違いに気づけないかもしれない。

 

 

うまく伝えれると思っているのは、

対象者の運転が上手なだけか、本物を知らないだけかもしれません。