もらった物への責任

昨日、参加したハマヨガクラス。

予め決められたワークを行なっていくのではなく、参加者の様子を見ながらワークをフローしていく。


そのためには当然、
1つ1つのワークが、どのような意味を持ち、どんな効能があるか。そしてそこには、どんな背景があるかまで。

自分で消化し、知り尽くしているからこそ、提供できる。


「ここまで出来るのに6年。」
という。






人からギフトをもらう時、

 

 

「これ、私もooさんにもらって嬉しかったから。どうぞ♪」

と頂くより、


井戸多美男 作。

身体に親和性が高いとサンプラチナっていう素材。でもこの素材、加工が難しい。それを加工できる、数少ない眼鏡職人さんだ。

昭和天皇も愛用してたらしい。

…と、頂く。
この違い。



相手に贈る意味を、自分なりに加えられる程に、知っているか?

頂いた側は、今度は贈る側となれるように、学べるか?


それはどんな物か?どんな背景があるか?
深く知ることで、自分なりの意味を付け加えることがよーやくできる。


そんな姿勢の違いを同志から学び、感じました。



アウトプットを前提とした学び、とは言うものの、
まとめるのではなく、深める。
自分なりの意味を加えて、今度は自分が贈れるように。



全ての場面において、

物も、

言葉も、

知識も、

ワークも。


そのために今出来ることは?