先日、特養に入所していた祖母が、
急変して救急病院へ搬送された。
母は仕事に差し支えが出るといけないからと、連絡してこなかった。
気を使った父が連絡を入れてくれて、病院へと駆けつけることが出来た。
仕事を休むかどうかは自分で決める。
という意思を伝えたけれど、
何かにつけて毎度そんなことがある母。
自分にもその血筋が備わっていると感じるが。
そして、昨晩 祖母は両親に見送られ旅立った。
今回すら、連絡がきたのは朝。
母は言わないでおくつもり。父から連絡がきた。
そして祖母は、
生前の本人の意思で、白菊会という医大の献体として運ばれる。
葬儀も通夜もなし。
病院にも来るな、仕事へ行け。
自分の生活に目を向けろと。
迷惑をかけたくない。
のは分かるけど、こちとら最期に顔を拝んで、お別れを言いたいんだ。
迷惑かどうかという判断は、
こちらで…
とまた思った。
でも冷静な父と話し、母が祖母の意思を貫ぬかんとしていることを悟る。
「家族への迷惑を配慮して」
という他者への想いからではなく、
「自分がそうしたい」
という祖母の頑ななる意思。
自分がどうしたいかを置いておくことにして、
祖母の言う通り、仕事へ。
命には時間が限られているということを、
身をもって教えつつ。
本来であれば葬儀にあてる数日すら、
自分のために大事にせよと。
本当は、ばーちゃんとの別れの時間よりも大切な時間なんてないんだけど、それよりも?
という問い。
限りある自分の時間。
自分の仕事、自分の生活、遊び。
より大切にしてみます。