エラーなのか伸び代なのか

先日、SagawaさんのフェルデンクライスのATMに参加。

 

 

そしてその帰り、

札幌駅で家族と待ち合わせを。

 

 

 

 

駅の出口にあるガラスドアの向こうから、走る子どもの影。

顔はまだ見えないけれど、あの走り方、立ち振る舞い。

 

息子だ。

 

 

 

 

遠くに見える人のシルエットで、

顔は見えなくても、姿勢や、歩き方、振る舞いで、「 あれって、OOさんじゃない?」って事ってよくある。

 

 

 

 

 

その人らしさとも言える、特異的パターン。

 

 

 

 

 

対象者のそれを観察し、

非効率になっている部位、不調を抱えている部位に、「より効率よく」という目的を持って関わるのが自分の仕事。

 

 

 

そうした対象者へ、

「自分の習慣への気づき」が起こることで、より良い姿勢。その人らしさ。へと繋がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともとはコンテンポラリーのダンサーである、

Sagawaさんのレッスンも、とても人柄に溢れていた。

 

 

 

「自身の非効率への気づき」

これは更なる可能性を感じることであり、喜びでしかない。

 

 

 

参加者の多くは、それをエラーと捉え是正を試みたが、ただありのままを感じるよう進行していったレッスン。

 

なぜなら、それは"喜び"であるから。

非常に印象的でした。

 

 

限りない参加者主体。

今 気づくも良し、気づかないも良し。

 

 

 

 

目的意識は少し隅に置いておくからこそ、

本人の非習慣的な、思いもしなかった新しい気づきがあるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、自分の対象者との関わりでは「目的」が必ず存在する。

必然的に「目的意識」が強調される中、いかに非習慣へのプロセスをガイドできるか。

 

 

 

 

自分にとっての"ちょうど良い"は?

探求すべき道は?

そして陥りがちな傾向は?

 

 


新たな良い出会いから自分の傾向に気づき、

そして自分らしさを探求する。