悩んだ時、辛い時、つまづいた時、どこか痛む時。
何かしら壁に当たったとき、解決したいと思う事は、ある意味ヒトとして当然。
簡単に解決してしまう場合もあれば、何度も同じエラーを繰り返す場合もあるし、長く抜けられないトンネルを彷徨う場合もある。
特にトンネル通過真っ最中の時は、すぐに解決したい!という気持ちが強くなるものだ。
尊敬する、大好きな経営者のお客さんと先日久しぶりに再会した。
僕よりいくつか年齢が上で、
自分をとっても客観的に見ることができて、志を持ちながらに実績を重ねてきた人。
先日、仕事でのトラブル?転機?をキッカケに、
1ヶ月ほど自宅謹慎を続け、鬱かと思うほどに追い詰められた、と話した。
その時、
「どんな状況も切り抜けられると思っていたけど、何が心を追い詰めているのか? 」
「 苦しい状況下で、自分にどんな反応が出るか? 」
自己の観察を続けたと言う。
その時の壮絶さは身体が物語っていたが、そこまで陥っている自分を楽しんでいるようですらあった。
結果、自分の大切なもの・譲れない事を再認識。
自分をより深く知ることができて、また新たに歩みを進める決断をした。
そして体力も落ちた今はリハビリ中のようなもんで、ペース配分を考えて行動していると話した。
「ただ、知ってさえいればええ。」
フェルデンクライスの教えに通じる、この言葉に出会ったのは数年前。
当時「失敗を許す」という意味合いにも感じ、優しい言葉だと感銘を受けた。
時間の経過と共に、日々の実践や経験と共に、自分の言葉となりつつある。
一番大切にしている事は何か?
今抱えているトラブルが原因で、
現在 出来なくなった社会的な問題や、人間関係、日常のトラブルを主と考えて解決策を模索するのか。
エラーは、自分の事を深く知るための良い機会として、
「 こんな状況下では、自分はこんな状況に陥りがちだ。」とか、
「 こんな時に、こんなエラーを起こしがちだ。」とか、
「 こんな言葉に感情的になりやすい。」とか、
自分の人生を主として考える言葉。
だからとっても優しく愛がある言葉なんだ。
自分を深く知っていれされすれば。
自分の傾向をよく理解していれば。
似たような状況に陥る手前に、気づき、模索することが出来始める。
自分が置かれている状況や、その時の自分の反応。
解決しようとわざわざ思わずとも、
『 自分にとって良い選択 』をするという事は、知ってさえいれば当然 選ばれていくんだろう。
少しバタバタ過ごした数日間。
こんな時、改めてブログを書き、日々を見つめ直す。
そして整理整頓を気のすむまでやる事。
すると浮足が戻り、また地に足をつけて前に進みたくなる、そんな自分を知っているから♪