フェルデンクライス岡山 リトリート





レッスン前に自分の動きを観察。
ここの動きが不足していて、ここが過剰でって思ってたのに!


レッスンの終わりに、楽に動けるようになっていくと、
「問題点そのものが、そもそも そこじゃなかったんかい!」って感じることになります。





そうしたことを感じるための機会を得ながら動く。そう設計されている凄さです。





評価を見誤るから、
準備そのものにもエラーや偏りがある。
それじゃあ、うまく動けるはずがないのに。

より楽に動けるようになると、いつもそう思います。





違う視点を得たからこそ、過去をそう思えます。
(準備したジャケットの話ではない)







組織化とか、楽に動くって、
多様性があるってことを含むんだなって。
認識が深まりました。



視点は変わるのだから、
ゴールを設定しすぎないことも大事だって、感じられました。











そして、
より良い動きを経験してからは、ヒトは悪い動きはわざわざ選びません。



無理に変わろうっていうんじゃなく、
心底に必要性を感じた時。そのほうが楽って思った時。
行動パターンは変わっていくんだなって。






組織化へのプロセスって、
本人が必要性を感じるから起こるんだ。
認識が深まりました。











必要性を感じるには
パターンを変えてみること。自分基準じゃないチョイスを味わうことも重要です。



今の状態で満足。無知。こんなもんだ。いやいや自分には無理。

なんて意固地に自分のパターンを変えないでいると、もっと良いを経験しないんだから、必要性は感じれません。

何事もやってみないと始まらない。

言って頂き行動に移してみて、「結果、大満足!」がいかに多いか。
(ガイドがいいんでしょうけど。)




まだまだ自分で自分を楽しませられそうな可能性を感じました。
 






同志との会話の中で多くの気づきをもらいました。



必要性の度合い、タイミング。
エラーを繰り返し、もう限界!!って時の気づきって、人が変わったようなレベルで起きたりしますよね。



それは、人から言われるものでもなく、自分のタイミングで起こる。



継続した変化が起きないってのは、
「心底、必要性を感じてない」って言い換えれるかもしれません。
変わりたいって言ってんのに変わらんのって、
どっかで、こんなもんかとか思ってたり、実はもっと大事なもの隠し持ってたりするんでしょう。


もっともっと、良い動きを味わって、基準を変えていきたいもんです。






組織化へのプロセスには、
本人の主体性。そしてエラーを経験するということはメチャ大事だなって。
認識が深まりました。







最後に。

リトリートの中で、受け取ったものは人それぞれでした。



答えを教える場ではなく、
自己と向き合うようにガイドされているから。





教えられた事を過信するのでもなく、
無理に自分を納得させるのでもなく、
それぞれのペースで、それぞれに必要な気づきを与えてくれる。





いつも素晴らしいガイドをありがとうございます。



そして純粋に自分と向き合う同志がいて。

受け取ったことの違いを共有し合うことで、また自分の傾向に気づく。

自分をまた知る。

多様性を得る。





感謝と寂しさが絶えません。
ありがとうございます。






相変わらず
読み手の事を考えない、長い日記です。